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小室雅伸 北海道にとっては北方圏の国々は防寒住宅造りの先生である. せっせと情報を求め断熱基準や窓のことなどを学んできたが,それ以外のことはさほど学んで来なかったようで,資金計画,税制,住居地計画のこと等々,住宅政策の全般について聞く機会があった.興味深かったのは,家の広さ,間取り,設備など具体的な住居計画に関わる細か過ぎるほどの基準とそのレベルの高さである. この国では基準は最低限度を示すものではなく,さらにもう一段レベルを引き上げるための目標値と言うべきもので,実のところ建築家はそれらがんじがらめの基準にいちいちパスさせることにくたびれてしまい,デザインどころではないとの声もあるという. 建主の側がさほど望んでいなくても家族数で自動的におかまいなく部屋数,居間の広さやキッチンの吊戸棚の量,冷蔵庫の容量まで決めてしまう. 一方で,家族数は多いのだが収入が少ないから小さ目で我慢ということも許さない. 基準通りの住居を与え家賃に補助が与えられるという. かのG N P大国では4人家族に2DKもめずらしくはないのだから,卒倒しそうなくらいである. 何せ「住吉の長屋」は,こんな狭い所に建てること自体が悪であるという議論になるくらい住居観が違う. もっとも,歴史も土地政策も何もかも背景が違う国の一部分のみを取り挙げて比較すること自体が無茶なことだが,住まいに対する価値を個人のものとするか社会の共有とするかの違いがそこにある. 住宅をより長く物理的にも機能的にも生かそうとする姿勢をそこに見ることができる. 北海道では,こと住宅に関しては皆関心が高い. 行政や研究者,建築技術者らが熱心に防寒住宅を研究し普及につとめてきた.住み手の側も冬が来るたびに繰り返される問題だから必死である.一丸となって防寒住宅を議論する場ができている. 防寒技術論が一段落ついてここ数年来はソフトの方に移ってきた. 北海道が音頭取りで始まった「北方型住宅」のテーマは北国の暮らしである. 楽しい,ゆとりある,はぐくむ暮らしを生む住まいを考えることが投げかけられている. これがどのようにまとめられてゆくのか大いに興味深いところである. われわれ建築家は人がやらないことを見つけることに生きがいを見出している人種だから,それに期待をすることもないが,一つ気になっていることがある. 住居面積のことである. くだんの国では明確に数字,寸法を上げて住居の快適さを示していると述べた. もう少し例を上げると,居間の巾は3.6mだったのが4.5mに引き上げられて,ソファのレイアウトにゆとりをもたせる基準となった. 寝室ではベッドの頭の位置には窓を設けるな(頭に冷気が当たるのは良くないから)というのまである. そこまでくるとちょっとやり過ぎだ∃,と同情したくなるが,さて広さに関わる寸法を明示するという考え方である. われわれは日頃,基準法やら消防法等々条文の数々に頭を悩まされ,何言ってヤンデーと叫びたくなるような具体例が出てきたりするから,規則は少ない方が良いに決まってる. ましてやこと細かにサイズを決められたんではプランニングの意欲は失せてしまう. アクロバットな裏ウザを使って水廻りの機器をピシャリと納めてニヤリ,という楽しみを奪うなんて言語道断. そんなの勝手でしよ,ということになるから,家の中のことまでは口を出されたくはないし,借金背負ってなけなしの金はたいて作るお城に何で口を出すの,ということになる. はっきりとした依り所がある訳ではないが,経験的にわれわれは日常4.5畳,6畳,8畳といったスケールを使って狭いとか広いと言う. 日本で内部に渡って広さの基準のようなものがはっきりしているのはかつての住宅公団のプランなどがあった. 公営住宅の不当な(?)狭い基準は今なお健在である. 社宅などの計画には案外とこういった数少ない基準のようなものが引合いに出されて,広い狭いの評価になることもある. 昨年作った「ファミーユ手稲」は社宅で,ここでもついつい他社の社宅の規模は,と較べながらもうちょっと広くとやっていた. 結局は敷地の広さと予算が折合いを付けることになる訳だが,建築が個人の営為に委ねられているのだからそれ以上は手が出せない. だが気になるのは,何かのときに引合いに出る規模のこと.それぞれが情報を集めて,やりくりするのが設計のワザであるが,北国の住まいのゆとりの広さに数字をあてはめるという作業はどうか,と思っている. 少し前は金融公庫の融資区分が120m2であったからその頃は,ギリギリ120m2を狙った住宅が多かった. 今は,かなり幅ができてきたからそれより増えているが,住宅の規模は結構こんなところに引きずられているのが実情である. 住まうことの分析から,適当な,目標規模のようなものを一つ作ってみると,案外それが尺度になって動いて行きそうに思う. ゆとりある暮し,の基本にはどうあろうと面積のゆとりは必至である. いったいどのあたりをほどほどとするか議論してみる価値はある. というのは,困った状況になっているからである. 地価の上昇のせいか土地が少なくなったせいか,宅地がどんどん狭くなっている. 札幌の郊外あたりで,60坪を割ったあたりが売れ筋,買える限度になってしまった. だいたい北海道では,専用住宅地は建蔽率40%,容積率60%なのである. となると延36坪,かつての金融公庫の区分枠あたりが合法的な規模の限度である. 状況はもっと広さを求めている. 今後,地価の上昇はよほどのことがない限り下降することはない. 敷地を狭めなければ手が届かない金額になって,一方,趨勢とは裏腹に作れる住宅は小さくせざるを得ないということになってしまった. そのあたりで実はゆとりある住宅の目標規模基準をはじくことに意味がある. ゆとりある住宅を成り立たせる土地のことに連動させて考えておかないとどんなに住宅像を描いてみてもしようがない. そろそろ,40%/60%の数値を見直すべき時期に来ていると思うのである.そうでないと,いくら収入が増えても家にかけるお金は変らずに,どんどん土地に吸いとられてしまって,ちっとも豊かにならない.事実,手掛ける住宅の総事業費予算は年々増えているのだけれど,土地代の比率は増すばかりで,逆に敷地は狭まる一方ではやり切れない. 本末転倒でも40%/60%は見直すより手はなさそうである. それも含めて,北国の住まいのゆとりある暮しを議論するネタに目標規模基準を使うのは,建築家とて悪い話ではないと思うし,この際,一般人にはあまり知られてない住宅を取り巻くさまざまな建築法のことも官民一体,一丸となって考えてみたいものである. |
望んでいた以上に大きな土地を買ってしまったから,その分だけ建物にかけられる費用が少なくなってしまった.その上,唯一の志望が,「倉庫のようなガラーンとした感じ」ということだったから,ローコスト住宅を余儀なくされた. 二重積みのブロック造に屋根をかけて,小屋裏的な2階建にするしかないと,とにかく1階に必要な最小限のスペースを確保することからプランニングが始まった.ガラーンとした感じ,を視線の抜けに託して,できるだけ長く,幅を細くまとめることにこだわった. それは,この家の近くにある最初の三角屋根での経験から,落雷のこと,高さのことを考えてのことであり,非対称の三角屋根になったのは,幅の狭さに対して内部空間の自由度を得るための方法である. インテリアは,ブロックと木と白く塗った天井だけで作られている. ブロックはムキ出しのまま,その配線もムキ出しのまま,造作材として使っている木は,カンナ掛けが一応されていることを幸いに2×4構法のスプルス材をそのまま手摺や階段に用いてしまった. 2階の床は,2×6材の外部デッキ用に加工された材料を,これだけはあらためてカンナ掛けをしたが,節ムキ出しで,打ちつけた. セントラルヒーティングやFF式のおかげで,壁際に目立たぬように控え目にされがちな暖房器は,石炭ストーブにして,広くはない食堂にデンとムキ出しに据えた. 少々,乱暴な取合せだが,北国の家である. この住宅は建売住宅である. 札幌の郊外に造成された住宅団地「パストラルタウン美しが丘」の中に建つ. この団地開発にあたってデベロッパーは建築家に依る住宅供給を試みることにした. 倉本龍彦,圓山彬雄,宮下勇と私に24区画の街画が与えられ,個々の住宅と町並み造りの提案が求められた. 条件は販売価格くらいのもので,われわれの個性が表現された住宅と.その集合としての町並みが主張性の高いものであることがテーマであった.それに対し,われわれの方針は具体的な形態コードとか色彩規制といった統一化の手法は最初に否定された. とどのつまりは各々が良しとするものを作ることが全てであった. 互いの手の内を明かしたり探り合いながらそれぞれのバランス感覚でまとめ上げることになった. 供給方針が実行に移される段階で少し変って,24戸一斉供給が各人2戸ずつ計8戸の建売住宅から始めることになった. この住宅はその中の一つである.1階をブロックの二重積みとし木造で2階を作るいつもの手法の一つである.ここではブロックを曲面に扱って厳格な規則性に柔らかな表情を持たせることを試みている. もともと組積造は小さな部材の集合であるから気ままな形態を作るのは得意とするが,日本の構造規準ではそうはいかない. 内外二枚の壁を同一規格部材でそれぞれ辻棲を合せて一枚の壁にするのは大変な作業ではあるが,勾配屋根との取合いで変化のある空間が生まれた. 基本的には3寝室にLD・Kという構成ではあるが,屋根裏部屋のような空間が加わることでゆとりができた. 「三角屋根」シリーズの中では最もシンプルな構成の住宅である. 夫婦2 人の住宅だから仕切りのないオープンな住宅を望まれ,またそれが可能である. 何せこの家には玄関の二重戸を除けば,浴室・便所のドアが1枚きりである. 庭造りを趣味にする施主は,広い土地を求めて.勤め先がある札幌から移り住むことにした. 畑地に作られたこの住宅地は,区画割りが大きく,まだ住宅の数もまばらだったから通りを歩いていると隙間が多すぎて,少し寒々しい感じがした. だから,2宅地分の間口15間のこの敷地には,通りに対してできるだけ長く壁が欲しいと思った. 玄関・階段を中心に食堂・寝室,居間・おばあちゃん室を振り分け,ブロックの壁で区切りながら横一線に並列させ,さらにガレージを加えておよそ間口21mのプランとした. ブロックの二重積みを試みた2回目の家であったから,意気込みもあって,ブロックが強くインテリアに現れるようにもしたかったからである. それらを,大きな敷地に見合う大きなスケールの片流れ屋根で覆って,ちょこんと突き出した階段と2階には,ブロックとは対比的な形態を与えて.単純な構成に刺激を与えている. 道路側では,さらに玄関の雪割り小屋根と,色彩が加わって正面性を強調し,複雑さを増しているが,これらは木造で行っている.また,平面的にも,窓廻りをブロック面から突き出したり,引き込んだりして,できる限り単純にしたブロックのストラクチャーをそのままにして,細かな操作を木造で補完することを試みた住宅である. ペチカも2回目の試みである. 自立させて居間の焦点に据えた図面を見たペチカ屋に,暖炉を付けてみないか,と誘惑されて施主共々のってしまった.レンガ積みの暖炉では,ここには重いと思ったから鉄板で細身に納めた.暖房装置としては優等生のペチカだけれども,暖めている様が見えないことの物足りなさを暖炉で補完してみた.暖めること,暖まることが,北国の生活の楽しみの一つでもあったことを思い出していた. この教会は五稜郭に近い閑静な住宅街の中にある. 間口62m,奥行35mの敷地のほば中央に旧会堂があって,左隣に附属幼稚園,右隣に牧師館という並びであった. この牧師館も会堂同様,かなり老朽化しているのでいずれ裏手に建て替えることにして,新会堂は牧師館右隣の空地に建てることにした. しばらくは窮屈であるが,牧師館が奥に移ると広い中庭を囲んで3つの建物が向かい合う構成にすることが狙いであった. |
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