2004.3.15 「 2004年名古屋国際女子マラソンの表彰式 」
尚子落選で世間はてんやワンやだが、選考会最終戦のTV中継を最後まで見てしまって私は怒り狂っているのである!!
@ ゴール後の選手やインタビューの画面から、何の前触れも無く表彰式らしき場面にカメラが切り替わった。
A 左手からヨボヨボの今にも死にそうな爺ジイひとりが何やら手に持ったまま、右手の土佐礼子に向かってよたよたと近づく。
B画面右手には、何と優勝した土佐礼子一人きりしかいない。
C爺ジイは気味の悪い笑い顔を作り、いきなり手に持っているモノを土佐の頭に被せようとし、土佐は受けるべく頭を差し出した。
D爺ジイは土佐の助けも借りてとりあえず試みたがうまく頭に納まらないままに画面から消えた。
Eひとり残された土佐は、ズルッと落ちてしまうモノを何とかしようと、焦っていた。
F土佐は気が付いた。前後が逆かもしれないと。
G前後を入れ替えて試みるが何度もずり落ちるのに手を焼きながら、とうとうガバッと押さえつけ何とか手を振る体制に持ち込んだ。ヘアーバンド風にデザインされた月桂樹の冠であった。
(どうにもカッコ悪いのは決して土佐のせいではないことを申し添える)
Hそして誰も修正すること無く、シャッターは切り続けられインタビューは続けられた。
何たることか!! 月桂樹の葉が下向きのまま、あろうことかそのままニュースの画像として世界にタレ流され、各社新聞を飾る写真となって永遠の記録として残されたのである。さかさまに被らされた冠のまま!
ゼウスの神よ、怒らないでくれ。我が日本国民は神を冒涜する気など毛頭無い。何せ、ゼウスの神どころか何故に月桂樹の冠を与えるのかということも知らない愚弄者達の仕業なのだから。
これがこの国のザマである。もう説明などする気も起きない。狂っているのである。狂っていることに気が付かないでいるのである。
冠に、勝者・土佐礼子に、参加全選手に、マラソン競技者全てに対するこの無礼極まる扱いに、この国のスポーツに限らずあらゆる局面において個人の励みに敬意を払うどころか認めることすら止めてしまった態度が凝縮されている。
知る限りにおいて最高の表彰式はウィンブルドンだ。私は儀式が嫌いである。が、ケント公夫妻がセンターコートに現われた瞬間から始まるそれは、ゲームそのものよりも遥かに感動と興奮を与えてくれる情景である。敬意と感謝と栄誉を称える行為そのものが素直に美しく尊いことなのだと教えられた。
日本の美の重要な核は形式、礼儀、名誉と恥であったはずだ。それらを凝縮した武士道が明治維新の大きな原動力となり、善し悪しは別として近代を歩み始めたはずなのに、この醜い腐りきった拝金亡者どもの集団はどうしてくれようか。 信長の時代であったなら切腹、斬首、磔、さらし首が即刻、競技場のトラックに並べられたことだろう。維新の時代なら、脱藩したとは言え龍馬も藩士達(当然 土佐藩士 なんちゃって・・・)も血相を変えて乗り込んだに違いない。
すこぶる過激な話しになった。このところ日本史に、取り分け信長から明治維新の時代に関する書物に浸っているものだから、失礼。が、それぐらい許せんことなのだ!!!
小室 雅伸
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