1980年代の建築家の活動――札幌建築塾、アールト展、JIA
小室雅伸
「札幌建築塾」と書かれた小冊子7冊をしばらくぶりに引きずり出して、思わず読みふけってしまった。40ページ程の年報は1982年2月の発足からの活動記録が綴られ、80年代の北海道建築界の動きの一面をたどることができる。会則に「全ての会員が企画者となり、運営者となり、発表者となる」と記すように、自主的な勉強会として札幌建築塾はスタートした。アトリエ派の建築家を中心に、大手事務所の若手、大学教員、デザイナーなど会員数140名にも達した活動が1989年の夏に7冊目の年報を発行した後に自然解散となったのは、JIAの設立(1987年)後である。即ち、中心的な会員の多くがJIA北海道支部での活動へと移行していくのである。
建築塾の特徴は、自らの為の勉強会としながらも常に活動を社会に開く姿勢を当初から貫いたことにより、多岐に展開していった点にある。セミナー開催や作品展などを通じて建築塾の存在が認知されるに従い、情報を発信するだけの立場から情報が寄せられる側、その行動力が期待される側にもなっていった。企業内ギャラリーとして、1986年にINAXスペース、1987年に松下電工R−BOX、1989年にABCスクエアが相次いで開設されるが、これらの背景には建築塾の活動、企画力が母体となっていた。今ではINAXスペース、R−BOXは、従来の画廊の枠組みに囚われぬ幅広いジャンルの発表の場としてすっかり定着している。
建築塾の行動力、組織力が大きな役割を果たしたのは、1984年のアルヴァー・アールト北海道展(AA展)であった。フィンランド側の希望にも関わらず日本では東京一ヵ処のみの開催の決定を聞きつけた会員の呼びかけで、北海道展開催の準備が始まる。赤字は実行委員が頭割りで負担する覚悟で、草の根的な資金調達活動からフィンランドとの直接交渉、展示作業まで多くの方々を巻き込み協力を得て実現に至った。僅かな黒字は、北海道の建築文化に力を注いでおられる方々への顕彰として、1986年にAA展記念賞設立にあてられた。
このAA展の成果は、自ら企画し遂げられるという自信と、そして何よりも準備活動を通してより幅広い世代、分野を越えた人的交流の広がりであったと思う。それらは個々の活動に、あるいはJIA北海道支部における活動に引き継がれ、1986年建築学会大会におけるユニークな列車セミナーツアー、1987年の田上義也ドローイング展、1990年のJIA北海道支部「空間の浪漫」展、1992年のフィンランド現代建築展、さらには1997年の日本フィンランド都市セミナー(旭川)をやり遂げる原動力になったことは明らかであるし、1981年に始まった作品発表会の運営にも反映されていると思っている。
建築塾に代表される若き建築家の自主活動は、ハビタ札幌や小樽運河・函館の歴史的町並み保存運動など70年代から始まっていたし、「十勝の風土と建築を考える会」は1985年から続けられている。それらの原点は自己研鑚への意欲であり、自己の力を向ける先は地域主義を意識するしないに関わらず、北海道の建築を取り巻く状況に対する真摯な姿勢に他ならない。80年代は、様々な活動を通じてそういった意思を同じくする建築家のゆるやかなネットワークの構築にあったと思うし、それは他の地域には見られぬ北海道建築界の特徴であり、財産になり得ていると思う。
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